UpDate 2000.04.07
NHKテレビ 「ロシア語会話」 
ロシア民謡-秘宝の玉手箱
ロシア民謡などの楽曲名、作家名に関すること1999.10〜11月号
中山英雄
 前号まで、ロシア民謡などについてのさまざまな誤解や誤訳に触れてきた。重箱の隅をつつくような粗探しは本意ではないが、今回もその延長線上と思われそうな内容になるので、あらかじめおことわりしたい。では曲例を挙げて記そう。
 
 @『ヴォルガの船曳き歌』
 −古くから世界中に知られたロシア民謡の代表格。原題は『エイ・ウフニェム』で船曳き作業の掛け声である。かつて『ヴォルガの舟唄』と訳された時代があったが明らかな誤りである。舟唄といえば日本では『最上川舟唄』など、世界的にはヴェニスのゴンドラの船頭歌(バルカロール)などをさす。私の手許にあるアメリカの曲集では "SONG OF TEH VOLGABOATMAN" とあり、驚いてしまった。「ヴォルガの船曳き」については、有名な画家レーピンの絵画とともに、同名の著書(松下裕訳・中央公論社刊)に克明な記述がある。一読をお薦めしたい。
 
 A『仕事の歌』
−原題『ドゥビーヌシカ』は樫の棍棒のことで荷揚げ労働者が作業に使うもの。ロクロの軸木などをさすこともある。B・ボグダーノフの原詞(1865年)をA・オリヒンが1885年に改作した革命歌である。日本語訳詞「…それは仕事の歌…」は原語からの直訳だと「労働組合の歌」になる。バス歌手シャリアピンが『ヴォルガの船曳き歌』とともにこの歌を愛唱していて、ある時、皇帝から咎められ、それに対して「あれはでくのぼう(実際にそういう意昧もある)と言って農民たちを馬鹿にした歌ですよ」と答え、難を逃れたというエピソードが残っている。
 
 B『小さいぐみの木』
−97年7月のロシア語講座テキストには『細いリャビーナ』(訳・宇多文雄)*リャビーナはナナカマドの木とある。音符の数の少ないメロディーなので『ナナカマド』では字あまりとなる故、楽団カチューシャ訳の前出標記となったのであろう。ピリペンコ詞・ローディギン曲・関鑑子訳『ウラルのぐみの木』もこれに倣ったものと思われる。
 
 C『カリンカ』
−カリンカはカリーナの愛称形。和名では「がまずみ」と呼ばれるスイカズラ科の落葉低木、またはその赤い苦い実。ロシアでは女性の美しさや処女性のシンボルであり、結婚式で歌い踊られることが多い。「カリンカ カリンカ カリンカ マヤ」と原詞の音訳のまま歌われるので、「カカリン」の歌と勘違いした人もいると聞く。ある市販のCD「ロシア民謡集」では曲名が『ガマズミの花』と記されていて、かえって分かり難い。なお、1988年にこの曲の作曲者はヴォルガ河沿岸の町サラトフのイワン・ペトロヴィチ・ラリオノフ氏と判明し、新聞紙上でも発表されたが、あまり知られていないのは残念だ。「ロシア語講座」誌(89・6月)「ロシア民謡こぽれ話」(伊東一郎)で「カリンカ」について詳述されている。
 
 D『コサックの子守歌』
−(ロシア民謡、津川主一訳)古くから日本でも親しまれてきた、おそい3拍子の曲。73年発行、NHKロシア語「歌と詩」(カセットテープ付き)にレールモントフの原詞と日本語訳(藤沼貴)が掲載されている。この歌のルーツはウクライナ民謡『ソフィアの子守歌』と同一であり、大黒屋光太夫がペテルブルクで聞き、1792年に日本に帰国の際、持ち帰ったものとされている。日口合作映画「おろしや国酔夢譚」(井上靖・原作)や五木寛之著「ソフィアの歌」(新潮社版)で、この間の事惰が面白く描かれている。
 1950年代に合唱団白樺で歌った「コサックの子守歌」は4分の4拍子の曲、最近、日本人唯一のコサック、ビクトル古賀氏(横須賀市在住)が歌って直接聞かせてくれたものと同じであった。
 
 E『満州の丘に立ちて』
−(A・マシストフ詞・И・シャトローフ曲)笹谷栄一朗訳の日本語歌詞もある。戦後、この曲は軍楽隊長シャトローフによるソ連時代最初のワルツと日本に紹介された。マシストフの詞は確かに革命後の国内戦当時の状況下で書かれたもののようだ。しかし最近来日公演をしたモスクワ合唱団(B・ミーニン指揮)による紹介文には1904〜5年の日露戦争時の作品とある。しかも現在多くのロシア人たちが、この曲の作曲者を、あの皇帝ニコライ2世であると言っているようだ。興昧ある話である。ところで、その公演パンフレットの曲目解説を私は担当したが、『満州の丘に立ちて』の編曲者名A・コーポソフを片仮名表記する時、ハタと困ってしまった、手許にあった従来の資料に「コーポソフ・コポソーフ・コボーソフ・コポソフ」と4通りの記名があったからである。当たる確率は4分の1、仕方なくモスクワとのFAXのやりとりで解決した。
 

 曲名や人名に関する難問、珍問は、これでも氷山の一角である。『アムール河のさざ波』−これは完全な誤りで『アムール河の波』である。激流なのだから。昔ロシアのバラライカ奏者が日本の歌を演奏したプログラムに『海上のかもめ』とあった。実際に聞こえてきた音楽は『浜千鳥』(弘田龍本郎曲)だった。

           (なかやまひでお、合唱団白樺団長・指揮者)