UpDate 2000.04.07
NHKテレビ 「ロシア語会話」 
ロシア民謡-秘宝の玉手箱
ロシア民謡の誤訳、その他 1999.8〜9月号
中山英雄
日本人がロシア民謡や旧ソ連歌曲等を愛唱するのに、日本語訳詞の役割が大きいことは言をまたない。訳詞という、この大切な仕事に取り組んで来られた方たちには、最大の敬意を表さなくてはならない。しかし、その中で、さまざまな誤訳なども生じている。止むを得ない事情や原因によるものも多いと考えられるが、そのいくつかについて触れてみたい。
●誤訳された歌詞
@ NHK総合テレビ「クイズ・日本人の質問」の番組中、「有名なロシア民謡“トロイカ”は悲しいメロデイなのに、何故あんなに楽しい歌詞がついているのですか」という子どもからの素朴な質問があった、この答えは「歌のとりかえ」である。よく歌われる「雪の白樺並木、夕日が映える…」の歌詞(楽団カチューシャ訳)は実は別の歌「トロイカは走り、トロイカは翔ぷ」(ヴャゼムスキー詞・プラーホフ曲)のものであり、恋人に会うためにトロイカを走らせる馭者の喜びの歌である。物悲しいメロデイの民謡「トロイカ」(原題「郵便トロイカは走る」)の本来の詞は、金持ちの地主に恋人を奪われた馭者の嘆き歌である。もっとも同じメロディでも歌い方、特にテンポによって曲調は変化する。「郵便トロイカ…」の邦訳詞も現在は数種類ある。

A 世界中にロシア民謡の美しさを伝えて一世を風靡したドン・コサック合唱団の得意曲のひとつに、これも有名な馭者の歌「鐘の音は単調に鳴り響く」(ロシア民謡・マカロフ作詞)がある。歌い出しは「夕べ告げる鐘の音(ね)もの憂く鳴り渡り…」(合唱団白棒訳)だが、原詞には「夕べ告げる」という言葉は無く、「鐘」も正しくは「鈴」とすべきものだ。(ロシア語の「カラコーリチク」には両方の意味がある。)この歌をV・ソコロフ編曲の混声4部合唱で歌うと、男声パートの音形が鐘の音の模倣に聞こえるのが間違いの原因だったのかも知れない。出版されている楽譜やCDの曲名でも「鐘の音…」のほかに「鈴は同じ音を響かせて」と2種類あり、漢字の字体も若干似ていて、うっかりすると見間違えてしまう。バリトンのヘルマン・プライはこの歌をリーゼマンのドイツ語訳で歌っている。なお、この曲には讃美歌の歌詞もあり、歌詞にはグリリョフの作曲した別のメロディ(短調)もある。

B もう1曲、これも馭者の歌のジャンルに属する民謡で「はてもなき荒野原」(スーリコフ詞・井上頼豊訳)という美しい抒情歌がある。この訳詞の第4節「わが馬よ運びゆけ、わが思いをちちははに」は適切ではなく、雪の荒野で行き倒れる馭者が、妻や父母への遺言を愛馬に託す歌と永年誤解されてきた。正しくは馬ではなく友人である。テレビ・コマーシャルで犬が登場し、人間の言葉で「そんなこと言われたって、ぼく犬だからねえ」というのがあったのを連想してしまう。

C 「バイカル湖のほとり」(原題「さすらい人」)はデカプリスト(12月党員)の流刑囚の歌で、映画「シベリア物語」封切後盛んに歌われた。その歌詞の第2節「たたかい破れて、つながれしひとやを…」(中央合唱団訳)は誤訳ではないのだが、その中で「ひとや」という言葉がしばしば誤解される。これは「獄」または「人屋」と書かれ「牢屋、監獄」を意味するが、「ひと夜」と勘違いされることが多い。ビデオ「シベリア物語」(完全ノーカット版)の字幕にも同様の誤記がある。合唱団白棒では原詞(9節まである)の直訳に近い大胡敏夫訳で歌い、この秋出版予定のCDにも収録の見通しである。
 

●意訳と作詞
明治以後に音楽教育で使われた唱歌の多くは、外国の曲に原詞の意昧とは無関係な日本語詞を当てはめたものである。(例:「蛍の光」「故郷の空」)
また、楽曲のあるフレーズないしは、いくつかの音符に付けられる言葉の数を、外国語と日本語とで比較すると、前者が後者よりも遥かに多いのが普通である。従って外国の曲に日本語の訳詞を当てる際には、直訳に近づけるのは困難で、意訳せざるを得ない場合が多々あるのである。原曲の内容を意図的に変えてしまった歌詞も無いわけではない−というよりも、むしろ沢山あるといえるだろう。アメリカ民謡「線路の仕事」は重労働の末、息絶える線路工夫の歌であるが、同じ曲が「線路はつづくよどこまでも」(佐木敏作詞)では、楽しい汽車旅行の歌になっている。そうした例はロシア民謡などにもある。
 「ヴォルガの船曳き歌」→「雁の叫び」(旗野十一郎作詞)
 「あ丶、わが運命」→「燃えろペチカ」(緒園涼子作詞)
 「赤いサラファン」→「夜の窓辺に」(同上)
 「黒い瞳」(ロマ民謡)→「黒い瞳」(中村千恵子作詞・岩河三郎編曲)−「黒い瞳」は曲名は同じでも内容的には大きな隔たりがある。
 
           (なかやまひでお、合唱団白樺団長・指揮者)