UpDate 2000.04.07
NHKテレビ 「ロシア語会話」 
ロシア民謡-秘宝の玉手箱
ロシア民謡とクラシック音楽 1999.12〜2000.1月号
 
中山英雄
 ここで言う「クラシック音楽」とは「バロック」「ロマン派」などに対比して使われる音楽史上の時代区分を表す言葉ではない。それは「ジャズ」「ポピュラー」などのように、ジャンルを示すものと考えた方が妥当であろう。ロシアの作曲家たちが、また世界の国々の作曲家たちが、ロシア民謡やロシアの民族音楽を素材として如何に多くの芸術作品を生み出して来たかということを見てみよう。代表的な例を掲げる。
 
●ロシア国民音楽の父、M・グリンカは元祖的存在
アレンジ「音楽を創造するのは民衆であって作曲家はそれを編曲するだけだ」−彼の有名な言葉である。これは民謡を芸術的価値の低いものとみなす一部の作曲家の意見とは全く立場を異にしている。それはロシア民謡の持つ偉大な生命力や精神的豊かさを知りつくした者のみが言い得る言葉である。
@幻想曲「カマリンスカヤ」(グリンカ作曲)
2曲のロシア民謡、ひとつはゆったりとした婚礼歌「おぐらい森かげ」、もう。ひとつは舞曲「カマリンスカヤ」を組み合わせた交響作品。これを評してチャイコフスキーは「カシの実がカシの木になるように、ロシアの全ての交響楽作品は、この作品の子のようなものになってしまう」と述べている。チャイコフスキーは自らも子供のためのピアノ小品「カマリンスカヤ」を作曲している。
A「アンダンテ・カンタービレ」(チャイコフスキー作曲)
弦楽四重奏曲第1番二長調作品11の第2楽章。ロシア民謡「ワーニャが長椅子に坐っている」を元にした、弦の弱音が美しい曲。作家のトルストイが聴き、感動の涙を流したというエピソードが残っている。
B「交響曲第4番へ短調作品36」(チャイコフスキー作曲)
彼が不幸な結婚に悩んでいた時代の産物。同時に当時(1870年代)の民主的なロシア・インテリゲンチャの考え方《民衆の中へ》を反映している。第4楽章のテーマ、ロシア民謡「白樺は野に立てり」の迫力は余りにも強烈。
彼は「交響曲第1番」や「第2番」にも「咲け、小さき花よ」「母なるヴォルガを下りて」「私の紡ぎ女よ」などの民謡を使っている。
 
●名曲「赤いサラファン」に群がる編曲者たち
C「モスクワの想い出」作品6(ヴイエニャフスキー作曲)
作曲者はポーランドのヴァイオリン奏者・作曲家。この原曲はヴァルラーモフ作曲「赤いサラファン」だが極めて難易度の高いヴァイオリンの変奏曲となっている。最近私が入手したCD「アリャビエフ作品集」の中に同一曲(タイトルも曲も全く伺じ)が入っており、「んん_?」。調査したいのだが…。更に全音楽譜出版社からセルゲイ・クロマコフ作曲「モスクワの想い出」(赤いサラファンによる幻想曲)というピアノ独奏曲のピース楽譜も出ている。
 
●べ一トーヴェンも編曲したロシア民謡
D「ラズモフスキー第1番」(べ一トーヴェン作曲)
弦楽四重奏曲第7番へ長調作品59_1。ラズモフスキーはロシアの貴族、在ウィーンのロシア大使だった人物で、べ一トーヴェンのパトロンとして、自らもヴァイオリンを秦し、弦楽四重奏団を結成した。第4楽章にロシア民謡「あ丶、わが運命(悩み)」が使われている。第2番も民謡使用。
 
●NHK総合、朝のテレビ小説できいたロシア民謡
E「8つのロシア民謡作品58」(リャードフ作曲)
第8曲「ホロヴォードナヤ」は特に有名で「草原(クサハラ)に」の歌詞でよく歌われる。総合テレビ、朝の連続ドラマ「チョッちゃん」(黒柳 朝原作)の喫茶店内のシーンで、昔ふうの蓄音器からこの曲が流れていた。
 
●ロシア近代音楽の旗手ストラヴィンスキーは…
Fバレエ音楽「ペトルーシカ」(ストラヴィンスキー作曲)
多くのバス歌手がレパートリーにしている酔っぱらいの歌「ピーテル街道にそって」と囚人の歌「街のざわめきも聞こえず」が登場する。ストラヴィンスキーが1962年にほぼ半世紀ぶりに帰国して、モスクワで開いた歴史的な公演では「ヴォルガの船曳き歌」を指揮(編曲も)して大喝釆を浴びていた。
 

さて、この項でとり上げたい作曲家はまだ多い。ショスタコーヴィチ、プロ、コーフイェフ、リムスキー=コルサコフ、ムソルグスキー、グラズノーフからレハール(オーストリア)、ソル(スペイン)などがある。
 

           (なかやまひでお、合唱団白樺団長・指揮者)