もうミレニアムの境を超えてしまいました。今は昔・・・・1999年11月19日のことです。

今は昔…その1 

【合唱団白樺 第45回定期演奏会の幕が開くまで

●第44回定期演奏会が終わって
定期演奏会を開くとなると、ほとんと1年の準備が必要です。
1998年11月、第44回定期演奏会が終わって、アンケートを集計したり、テープを聴いて反省したり(より正確には反省会をしたり・・必ずしも反省するとはかぎらない!)、続いて忘年会を盛大に楽しんで、その年は暮れます。
●1999年の年明けとともに研究部の活動全開。
 まずロシア・ソヴィエト合唱曲の系譜パート14で取り上げるべき作曲家のリストアップをします。今回は、有名なノヴィコフのほか、コチェトフ、シュルイギン、クラセフなどの名前があげられました。皆1890年代後半の生まれです。

 合唱団白樺の財産に、きちんとインデックスを作成して保存しているソヴィエト時代の民謡楽譜が、1000冊ほどあります。それを使って取り上げる作曲家の作品を探します。ノヴィコフなどは、作曲数も多いし、同じ曲が何冊もの曲集で取り上げられていたりして、大変です。

 それらのなかから、混声合唱、男声合唱、女声合唱と区別し、ざっと曲想をつかみ、さらに伴奏譜がついているかどうかなども勘案して、候補曲をリストアップします。この段階でノヴィコフは20曲近くあったと思います。そしたら、ロシア語の出来る団員が手分けをして、歌詞を日本語に訳します。今回は訳詞をしたのは5人。少しずつ協力者が増えています。

 つぎには、歌詞の内容を考えたりして、トータルで20数曲へと絞り込みます。
これをピアノで弾いてもらって印象を話し合い、さらに絞り込み、研究部員が訳詞を分担します。定期演奏会で発表できるのは、多くても7〜8曲なのですから、15〜18曲くらいを訳詞するようにしています。

訳詞ができたら検討会。これが3月頃です。
 

●企画部の活動開始
4月になると、企画会議を頻繁に開いて、定期演奏会のプログラムを決めます。ロシア民謡はいい曲美しい曲が多すぎて、みんなが歌いたい曲を主張すると収拾がつかなくなるので、企画部会も大変です。その一方で、系譜曲はいよいよ練習です。
●CD第3集の録音
去年は、CDの録音が5月と7月にあったので、7月までは譜読みレッスンくらいしか出来ませんでした。CD収録曲は第3部で歌ったので、第1部の系譜と第2部のロシアの夏から秋への曲が新しい曲になります。
●夏合宿
CD録音が終わって8月に合宿。いよいよ系譜の曲を含めて、本格的に追い込み練習です。厳しい”夏から秋へ”・・・まさに短い夏が終わり、ロシアの秋は駆け足ですぎてゆく、すぐに冬が追いかけてくる季節の急激な移ろいを感じつつ、暗譜、音程、曲想とたたきこまれた3カ月でした。
●舞踊班、いよいよ大詰め
舞踊班の人は踊りの練習もあります。一年通して練習していますが、定期演奏会のような大舞台の本格的な練習は8月から集中的に行いました。とにかく、忙しい人が多いのでメンバーが揃わず苦労しました。
●残りの1ヶ月は事務局がてんやわんや
衣装部は新人団員の衣装を整え、研究部はプログラムの解説を書き、印刷しなければなりません。当日の要員、お弁当、花束打ち上げ会場の手配などもあります。そのほかに、全団員がチケットとCDを売るという大事な仕事を分担します。
●そして、ゲネプロ…
直前になると、バラライカアンサンブルとの合わせ練習、ゲネプロ、リハーサル。
動きをつけた舞台は、全員が位置を確認してその通りに演じなければならず、素人の私たちにとっては、楽しく、でも簡単ではないのです。

こうして定期演奏会の幕が開くのです。
続きはまたのお楽しみ!