合唱団白樺 第45回定期演奏会

1999年11月19日(金曜日) 
新宿文化センター 大ホール
開場:18:00 開演:18:45

<第1部>

 指揮 中山英雄  ピアノ 石川真澄

 ・ロシアソヴィエト合唱曲の系譜 Pert14
 

 秋の葉(初演)              B.バリトノフ作詞   A.ノヴィコフ作曲
 クラセフのメドレー(初演)      M.クラセフ作曲
 散歩に                H.サコンスカヤ作詞
 森のカッコー             M.コロコワ作詞
 陽気ながちょう(ウクライナ民謡)   M.コラコワ作詞    M.クラセフ編曲
 しじゅうから             M.コロコワ作詞
 歌うよカッコー            H.フレンケリ作詞
 緑の入り江(初演)          A.プロコフィエフ作詞 Л.シュルギン作曲
 じいさん(初演)     ロシア民謡 A.ノヴィコフ編曲
 通りで私たちは(初演)        A.プーシキン採集(民話から)B.コチェトフ作曲
 若きシベリア(初演)         Д.チェレシチェンコ作詞   A.ノヴィコフ作曲

<第2部>

 指揮 藤本敬三、 ピアノ 石川真澄、 アコーディオン 中山英雄

 ・ゆく短い夏をおしみ、黄金色の秋に想う

 モスクワ郊外のタベ                             M.マトソフスキー作詞 B.ソロヴィヨフ=セドイ作曲
                                                                合唱団白樺訳詞   中山英雄合唱編曲
 蛍                         グルジア民謡          A.ツェレテリ作詞   蒲生真郷訳詞
 黒い瞳の               ロシア民謡              矢沢寛・宮長妙子訳詞  中山英雄編曲
 ブコビナポルカ                                   И.クチェニ作詞    E.カザーク作曲 蒲生真郷訳詞
 けし                                                   Г.ポジェーニャン作詞 Ю.アントーノフ作曲
                                                                合唱団白樺訳詞   中山英雄編曲
 タぐれ                                                Я.ポロンスキー作詞 C.タニェーエフ作曲 蒲生真郷訳詞
 秋ふたたび                                          E.アヴジェンコ作詞 A.パルツ八ラジェ作曲
                                             合唱団白樺訳詞  中山英雄伴奏編曲
 

 舞踊=モルダビアの娘              横尾弘子翻訳・振付   本多静雄監修
 
 




<第3部> 

 指揮 藤本敬三、 ピアノ 石川真澄、 アコーディオン 中山英雄 
   &東京バラライカアンサンブル

 ・CD第3集完成記念!
 
    <バラライカ演奏>
  ふたつの小品                                B.アンドレーエフ作曲 北川つとむ編曲
            アルバムの一葉/行進曲
  追憶〜ゴンザへ〜                         北川つとむ作曲
 

  夕べの鐘                                     ロシア民謡 トーマス・モア原詞 И.コズロフ露訳
                  蒲生真郷訳詞 A.スヴェシニコフ編曲
 道               Л.オシャーニン作詞 A.ノヴィコフ作曲
                 中央合唱団訳詞
 行商人             ロシア民謡 北川剛訳詞
 バイカル湖のほとり       ロシア民謡 大胡敏夫訳詞 中山英雄編曲
 アムール河の波         K.ワシリエフ、C.ポポフ作詞 M.キュッス作曲 合唱団白樺訳詞 B.ソコロフ編曲
   



第45回定期演奏会〔解説〕

《第1部》

ソヴィエト合唱曲が花開き始めた時代の作曲家たちのなかから、今回は1890年代生まれの月。B.シュルギン、A.ノヴィコフ、M.クラセフ、B.H.コチェトフの4人をとりあげた。いずれも、1920年代から革命作曲家・音楽家連盟で活躍し始め、第2次世界大戦の後までソヴィエト歌曲をリードし、数々の名曲を生み出した作曲家である。民謡的背景を持ちながら、合唱曲として、あるいは歌曲として、完成された高い音楽性をもつ作品を作曲している。

 シュルギン(1890−1968)は黒海の奥アゾフ海に面したタガンロク(ロシア共和国)に生まれ、ペテルプルグ音楽院作曲科を卒業して、革命の年には共産党員となった。プロレタリア音楽家協会設立発起人の一人で、ウスベキスタンやトルクメンでオペラ教育に生涯を捧げた。独特の節回しをもった旋律、中央アジアの民族音楽的な響きが印象的な歌曲を残している。

 ノヴィコフ(1896−1983)は、ロシアのなかでも最も音楽的といわれるリャザン県の生まれで、モスクワ教育大学に進んだが、音楽的才能を認められてモスクワ音楽院で音楽を学ぴなおす。プーシキンの詩に作曲した作品群、詩人レフ・オシャーニンとのコンビで「民主青年の歌」、「道」、アルイモフの詩で「ロシア」と数々の名曲を作った。流れるような美しいメロディ、民謡的抑揚を持ち、革命ロシアの建設に向けられた熱情は、まぎれもなくソヴィエト歌曲を代表する作曲家のひとりである。

 クラセフ(1897−1954)は生粋のモスクワっ子で、子どもたちとの音楽活動に情熱を捧げる一方で、諸民族の民謡採譜と研究にも大きな足跡を残した。たくさんある合唱曲も、多くは子どものための創作曲で、ソヴィエト児童曲の権威となった。

 コチェトフ(1898−1951)は祖母と伯母がソプラノ歌手、父は作曲家という音楽一家の生まれ。モスクワ生去れモスクワ育ちであるが、ソヴィエト諸民族、スペイン、フランス、ユーゴスラビアなど諸外国の民謡をとり入れた豊かなプロット構成の曲を作曲している。1920年代から戦後にかけてという活躍年代を反映して、ソヴィエト讃美の曲も多く含まれているが、そのほとんどが民謡の息づかい、素朴な祖国愛や人間味に溢れた珠玉の合唱曲である。

●秋の葉
 ノヴィコフの天性のメロディ・メーカーとしての資質がいかんなく発揮された美しい曲である。大衆的親しみと暖かさとともに、ふの輿深く秘めた情熱を感じさせる。ノヴィコフには政治的背景を持つ曲が多いが、晩年には「恋人」「陽気な騒ぎ」など叙情性に富む曲が増える。この曲もおそらく1970年代以降の作曲であろう。原詩は、愛し合いながら素直に気持ちを伝えられない、若い恋のもどかしさを歌ったもの。

●クラセフのメドレー
 クラセフの「子どものための曲集」からのメドレーである。散歩に出かけた子どもがであう森の風景、がちょうとばあさんの掛け合いが面白い村の風景、そしてあちこちで歌うカッコーは、ロシアの夏の風物詩である。テンポの早い、陽気な音楽と、カッコーやしじゅうからの鳴き声を模した魅惑的な和音の響きをもっている。

●緑の入江
 不思議な透明感をもった旋律は、ウクライナでもロシアでもない、中央アジアの香りの混ざった独特のもので、曲の構成も、導入部は歌詞が同じで、展開部で1番2番が異なるという独自のものである。作詞のA.プロコフィエフはほほ同世代のレニングラードの詩人で、「ロシア」など祖国愛に溢れた詩を残している。この曲の星と波が互いに共鴫しながらざわめく情景は、北国の自然の雄大さとともに、ほんのひとときの夏の穏やかさを感じさせる。

●じいさん
 伝統的なロシア民謡をノヴィコフが編曲したもの。底抜けに明るい農夫が、若い娘をくどく、それも村人のまえで堂々と。聞いている村娘たちは、じいさんをからかい、いちいちはやし立てる。そして最後は「金持ちじいさん逃げられた」と。村の祭りのにぎやかさ、村人たちの遠慮のない親しさを巧みに表現している。ロシア民謡のジャンルの一つである戯れ歌。合唱曲への編曲は、酒脱でイキである。

●通りで私たちは
 これはA.プーシキンの詩にコチェトフが作曲したもの。ロシアの民話に題材をとっており、若者に恋心を語る乙女が、父親ときっとうまくいくわという、家族の強い絆を感じさせる会話である。広い通りで年老いた夫婦が、若者たちのそんな会話を微笑みながら聞いている。若い日はみんなこんなもの、ほのぼのとした温かさに包まれた歌。長い叙事詩の導入部かと思われ、詩の内容は完結していない。

●若きシペリア
 シベリアは、その豊富な地下資源のために古くから流刑囚を使って開発されてきた。第2次大戦後は、ソヴィエト建設のために多くの若者がシベリアをめざした。コムソーモルの一員として、希望と使命感に溢れてこの厳寒の地に赴いたのである。原詩には時代の制約を感じさせられるが、底抜けの楽天性と力強さを表現してあまりある曲である。未来との出会いを信じる若者たちの情熱は、いつまでも変わらずにあってほしい。

《第2部》

●モスクワ郊外のタペ
 もっとも有名なソヴィエト歌曲。永い間モスクワ放送のコールサインとして全世界に流されてきた。ロシアの短い夏に、モスクワ郊外の白樺林をそぞろ歩く恋人たち。いつまでもほの明るい夏の宵を惜しみ、東の空が白むまで短い夜を惜しみ、そしてその夏は忘れられない思い出となる。

●蛍
 蛍を恋人になぞらえて、素朴な恋をうたう歌。グルジアはコーカサス地方の共和国で、保養地として有名だが、石油パイプラインをめぐってホットな地でもある。グルジアには男声3部合唱の伝統があり、この曲も、民謡を採譜したもの。作詞のツェレテリはグルジアの貴族出身で、1905年にナロードニキの運動に共鳴して反政府風刺雑誌を刊行し、投獄された。民謡として親しまれている「スリコ」もツェレテリの詩である。

●黒い瞳の
 映画「大音楽会」のコルホースの場面で、メゾソプラノのマクサコーワが歌った、ユーモアに富んだ民謡。黒い瞳、黒い眉の彼は異国の出身、エキゾチックな魅力に若い娘は夢中になる。彼を両の手に抱いて愛をささやきたい、緑の牧場で踊りたい。でもこれは私だけの夢、父様に告げ口するひとはいない。

●ブコビナポルカ
 ブコビナはカルパチア山脈のふもと、ウクライナとルーマニアにまたがる「ぷなの国」である。民俗舞踊の盛んな地方で、この曲も新しい作曲ではあるが、踊り好きのブコビナ人ならではの楽しい舞曲。作曲者のカザークは、ウクライナのリボフ市出身で、男声4重唱団を組織して演奏活動をしていたが、1939年からリボフ放送合唱団の指揮者となった。合唱曲の作曲や民謡の編曲を多く残している。

●けし
 広い野原いちめんに咲く赤いけしの花。それはボルガ河下流のナチスドイツとの激戦地で、戦いに倒れた兵士たちへのレクイエム。作曲者のアントーノフはベラルーシのミンスク育ち、ソ連最初のロックグループを結成いポピュラー音楽の作曲家として活躍。彼がリーダーである「アエロブス」のレコードで、「けし」が演奏されているが、前半はバラード調、後半はロック調。合唱団白樺では、中山英雄の編曲により原曲とはまったく異なる混声8部の合唱曲として歌っている。

●タペの鐘
 19世紀初頭のアイルランド詩人トーマス・モアの詩による名曲が、1928年1こ□シア語に訳されて、「街歌」として広まった。部会で生まれた民謡である。スヴェシニコフの編曲によって、いっそう深い響きを持った、国立アカデミーロシア合唱団の重要なレパートリー曲。恋に破れて故郷を去っていく若者の耳に、鐘の響きがしみわたる。今また旅路の途中で聞く鐘の音に、遠いふるさとを想っている。深い哀愁は、アイルランドとロシアに共有されている。

●タぐれ
 叙情詩人ポロンスキーが露の珠に映る夕映えを、傾いた陽光に輝く波を絶唱した歌に、タニェーエフは静かに流れるような曲をつけた。宗教的ともいえる敬虔な雰囲気と色彩をもつ、典型的なロシア合唱曲。タニェーエフはモスクワ音楽院でチャイコフスキーなどに師事した作曲家で、ピアニストとしても優れていた。合唱曲でも美しい作品を数々残しており、この「タぐれ」はそのなかでも代表作といえる無伴奏混声合唱曲。

●道
 道は、ロシアの叙情歌では別離の象徴として扱われる。この曲は、ほこりたつ道に寄せて、ドイツとの激しい戦いが展開された南ロシアでブーリャンの茂みに眠る友を思い、悲惨な戦闘に明日の運命を思い、故郷の母を思い、別れの悲しみを切々と歌い上げた名曲である。オシャーニンによる原詩は、演劇用に構成されたもので、前線に向かう兵士たちが軍用列車のなかで歌う場面で歌われている。ソヴィエト時代の代表的歌曲の一つである。
●秋ふたたぴ
 夏の終わり、北国の秋は突然に訪れる。ななかまどの赤い実がたわわに実り、草原に霧がたちこめる8月下旬。収穫のあとのいちめんに金色の草原を、原詩では「風が金色の帆を空に吹きあげる」と歌っている。黄金色になった白樺の木は冷たい風に揺られ、凍え、足早にやってくる冬の兆しにふるえる。1986年発行のパルツハラジェ無伴奏女声合唱曲集に収められている。

●舞踊 モルダビアの娘
 モルダヴィアで「ホーラ」と呼ばれる舞踊は、スラブ系民族に共通する群舞で、ロシアではバラボードという。ホーラは親密な一体感と心地よさをもたらす。時には村人が皆加わってゆったりしたリズムで踊ることもあるが、多くはこの踊りのように早いテンポで活発に踊られる。モルダヴィア北部のコロウツィ村で採集したもので、14人の娘たちが円形をつくりながら、滑るようなリズムで、表情豊かに展開していく。モルダヴィア民族アンサンブル「ジョーク」が1960年に初演したもの。
 

《第3部》

●りんごの花咲くころ
 春の遅いロシアでは、5月は特別な月。澄んだ空気、りんごやなしの花が一気にほころぴ、明るい月の光は「落ちた針もすぐ拾い上げられるほど」あたりのすべてをくっきりと浮かびあがらせる。この曲は、そうした春の喜びを、そして青春の喜びを、はずむ心で歌い上げる。「カチューシャ」をはじめ数々の名曲を生みだしたブランテルとイサコフスキーのコンビで1946年に作曲され、ブランテル自身が混声4部に編曲した。

●行商人
 日本ではフォークダンス曲の「コロプチカ」として有名だが、コロブチカは行商人の背負い籠の意昧。19世紀ロシアの代表的詩人ネクラーソフの長編詩「行商人」のなかの一節に曲がついて、民謡として歌いつがれたもの。黄金色に麦が実り、風にざわめく秋、村祭りの季節には行商人がやってくる。諸国の事情に詳しい行商人は、村人の人気の的。そして、村の娘と軽妙な恋の取引。おしゃべりの麦よ、どうか秘密を守っでおくれ、夜の帳はなにもいわないのだから。

●二つの小品
 アルパムの一葉のアンドレーエフのバラライカ独奏のための小品から、2曲を選んで北川つとむがバラライカオーケストラのために編曲した。「アルバムの一葉」はワルツ集のなかの一曲。「行進曲」は彼の作品のうちでも人気の高い曲である。アンドレーエフは、バラライカの改良と普及に多大な功績を残した作曲家。その作風は、□シア独特の深い哀愁感を持ちながらも、和音展開やリズムには西ヨーロッパの影響を強く受けている。

●パイカル湖のほとり
 これもまたロシア民謡に独特のジャンルである囚人の歌の一つ。映画「シベリア物語」で紹介され、日本でも愛唱されている。1825年、デカブリスト(十二月党員)が帝政ロシアに叛旗を翻してつかまり、シベリアに流刑となった。流刑地を逃れた政治犯は、バイカル湖を渡りきれば自由の身になれた。命をかけて逃亡した流刑人を待っていたのは、年老いた母。土の下に眠る父、シベリアに流された兄。そして愛しい妻と子どもたち。圧政の時代の中、ほのかな希望を感じさせて終わる。

●追憶〜ゴンザヘ
 18世紀半ば、漂流してカムチャッカ半島に辿りついた11歳の少年ゴンザは、首都ペテルブルグでロシア語を学び、露日辞典など6つの著作を残して、弱冠21歳で数奇な生涯を閉じた。故郷の薩摩にどれだけの思いを残したであろうか。『おろしあ国酔夢謹』で有名な大黒屋光太夫より半世紀前のことであった。北川つとむ作曲のこの曲は、孤独な生涯においても、日本人としての誇りを持ちつづけたゴンザに送る鎮魂歌である。

●アムール河の波
 有名なロシア・ワルツ。アムール河は、中国東北部の大興安嶺に源を発し、中国国境を流れて、間宮海峡に注ぐ、全長4400kmの大河。中国語で黒龍江、マンチュリア語でサ八リン・ウラと呼ばれている。ヨーロッパロシアから見れば、僻遠の地を流れているにもかかわらず、母なるヴォルガに対して、父なるアムールと尊敬されている勇壮なこの河を讃える歌としては、この歌のほかに「ざわめけアムール」などが有名。(合唱団白樺研究部)
 

 Making The SIRAKABA 45th Consert