合唱団白樺 第43回定期演奏会 「雪よ、風よ、大地よ」

オープニング 白樺古いロシアのワルツ A.B.ベズメンスキー作詞 E.ドレイズィン作曲 サカロフ編曲 北川剛訳詞

<第1部>ロシア・ソヴィエト合噌曲の系譜]U ソヴィェト合唱曲の基礎作り
  指揮:藤本敬三 ピアノ:石川真澄 アコーディオン:中山英雄 訳詞:合唱団白棒

●海は忘れじ(初演)    n.ルィフキン作詞 A.ダヴィデンコ作曲
●闘いの風渡る(初演)   ∂.バクリツキー作詞 .ワシリエフ:ブグライ作曲
●畑の道(初演)      B.兄.チャライ作詞(マリ語)B.ストルエフ露訳 エシュパイ作曲 中山英雄伴奏編曲
●ひびけよガルモー二(初演)H.クズネツォフ作詞 A.ダヴィデンコ作曲 中山英雄伴奏編曲
●小島(初演)       P.C.シェリー作詞(英語) K.バリモント露訳 ラフマニノフ作曲 B.ムーヒン合唱編曲
●カマ河の舟曳き(初演)  H.ネクラーソフ作詞 A.ダヴィデンコ作曲 中山英雄伴奏編曲

<第2部>雪よ風よ大地よ
ロシアの冬をうたう 指揮:藤本敬三 ピアノ:石川真澄 アコーディオン:中山英雄 舞踊指導:横尾弘子

●舞踊 ブーリバ      ベラルーシ民族舞踊 本多静雄振付
●燃えろペチカ       ロシア民謡 艦園涼子訳詞 中山英雄編曲
●シチエドリク       ウクライナ民謡 大胡敏夫訳詞 M.レオントヴィッチ編曲
百万本のバラ       
おお冬よ冬よ
●街角に吹雪が吹き荒れて
●冬の道
●海

<第3部>バラライカとともに
 指揮:中山英雄 ピアノ:石川真澄 
  
 指揮:北川つとむ 東京バラライカアンサンブル
●バラの乙女たちの踊り
●思い出しておくれ

●トロイカ
●ロシア民謡メドレー
  カチューシャ
  黒い瞳の
  ともしび
  行商人
  コサックの子守歌
  一週間
●ロシア私の故郷

  
中山先生/東京バラライカアンサンブル/合唱団白樺

 

【解説】
白樺−古いロシアのワルツ
白樺を歌った曲はたくさんあるが、ワルツの「白樺」はその優美なメロディで、私たちを魅了する.ロシアでは、春一番に森を緑に染める白樺には、特別の生命カがあると信じられている。ロシアの詩人エセーニンも、白樺を讃えて、「夜の窓辺、白樺は灰かな明かりに微かに光る」とうたっている。今夕、合唱団白樺からのご挨拶です。
《第1部》ロシア・ソヴィエト合唱曲の系譜
ソヴィエト合唱曲の基健を築いた作曲家たちのうちから、凪.ワシリエフ=ブグライ、B.ムーヒン、Д.エシュパイ、A.ダヴィデンコの4人をとりあげた.ワシリェフ=ブグライはモスクワで宗教音楽の教育を受け、革命後は音楽運動の先頭に立って、コーラスの指導や伴奏などの活動をした。ムーヒンはヴォルガ河下流の港町サラトフの生まれ、エシュパイはコクシャマル(現ズベニゴロドフ)生まれのマリ人、ダヴィデンコは黒海沿岸のオデッサ生まれと出身はさまざま。でも、3人ともモスクワ音楽院を1930年前後に卒業し、革命ソヴィエトの音楽的基礎を担う活動を開始した革命後10年で、音楽教育の中心がペテルブルグからモスクワに移ったのだ。ワシリエフ=ブグライとダヴィデンコは、革命後のモスクワの音楽運動を支えた活動家として、革命的雰囲気を伝える曲を多く残している。ソリストとして歌唱も学んだムーヒンは、モスクワ音楽院教授、流れるような美しいメロディの曲を残した。エシュパイは、民族色豊かなメロディと、マリの伝統音楽の研究を残し、ダヴィデンコも、チェチェンのメロディを編曲した作品を書いた。革命音楽と民族音楽に彩られた、ソヴィエト合唱曲の幕開けである。

●海は忘れじ
 1906年9月21日、ペテルブルグ沖フインランド湾の要塞島クロムシュタットで起きた水兵19名の銃殺事件をテーマに、ダヴィデンコ(1899〜1934)が作曲。クロムシュタットではその前年にも兵士の反乱があり、1917年には革命軍最大の拠点となった。猛り狂う海は、夜明け前に殺された若き兵士を決して忘れない。

●闘いの風渡る
 バクリツキーが1926年に書いた「オパナスの物語』の一節にワシリエフ=ブグライ(1888〜1956)が作曲。オパナスはウクライナの反革命集団に逃げ込んだ元赤軍兵士、赤軍コサック騎兵の指揮官はグレゴリー・コトフスキー。行商人の荷車の上を、闘いの疾風が吹きぬけてゆく。

●畑の道
 作曲者エシュパイ(1890〜1963)はフイン語族のマリ人。マリ共和国に近いカザンで音楽教育を受けた。マリは牧畜業の盛んな共和国で、夏になると村中総出で牛の干し草刈り。のどかな草原を渡る風のような歌には、歴史的にロシアやモンゴルの支配下に置かれ続けたとはいえ、民族の伝統が大切に受け継がれている。

●ひびけよガルモーニ
 トゥーラの町はモスクワの約200キロの工業都市。トルストイの出身県として、またロシア紅茶を沸かすサモワールの産地としても有名。ガルモー二は手風琴の一種でアコーディオンの原型。トゥーラやサラトフのガルモー二は、音色の美しさで名を馳せている。ダヴィデンコの作曲。

●小島
 ラフマニノフの作品をムーヒン(1888〜1957)が合唱曲に編曲。詩は「冬来たりなば、春遠からじ」で有名なイギリスの詩人シェリーの作品を、ロシア初期象徴派詩人バリモントがロシア語に訳したもの。バリモントの詩の魅力は、音の響きの豊かさにある。彼もラフマニノフも、革命後亡命したが、この曲は1896年の作品。

●カマ河の舟曳き
 これもダヴィデンコの作品。作詩のネクラソフは「ロシアは誰に住みよいか」を代表作とする革命的詩人として有名。舟曳き人夫も、この物語に登場する。カマ河は、カザンでヴォルガ河に合流する急流。焼ける砂のうえを、荷を満載した舟の綱を曳き、舟曳き歌をうめく。つらい労働の代償に僅かなパンの恵み。深い河よ。

《第2部》 雪よ風よ大地よロシアの冬を歌う

●ブーリバ
 ベラルーシ共和国は、ライ麦とじゃがいも、麻と甜菜を主産物とする農菜国。低湿地のベラルーシに、社会主義下で大型農菜機械が導入され、生産が飛躍的に伸びたことは、農民に豊かさと将来への希望をもたらした。これはじゃがいもの収穫を喜ぶ踊り。合唱団白樺で発掘し、翻訳した作品で、1966年の初演を今回再編成した。17年ぶりの再演。

●燃えろペチカ
 ロシアの長い冬は、夜もまた長く寒い。春を待ちわびる気持ちはそれだけ強い。ペチカは暖炉であるが、煮たきやパン焼きにも使われ、その上は暖かなベッドになるなど、ロシアの家の中心になる。日本では、山田耕搾の「ペチカ」で知られる。これは外の厳しい白然を感じさせるロシア民謡のペチカ。
●シチェドリク
 新年前夜は「豪奢な夜」と呼ばれ、ごちそうを食べるが、その時歌われるのが「シチェドローフカ」。コリャーダという古い祝い歌の伝統をひき、若者たちが新年の豊作、家畜の増殖、健康と幸せを祈って、一軒ずつ歌い歩いた。ウクライナ民謡を、革命運動に一命を捧げたレオントヴィッチが編曲。

●百万本のバラ
 グルジアの画家ピロスマニは、素朴な農民画家。恋をしたのは旅芸人の踊り子。草原に建つ小さな家を売り、ありったけのバラを恋する人に贈った。作詩のヴォズネセンスキーはロシアの人気詩人。作曲のパウルスはラトビアの文化大臣。もともとはラトビアの詩に曲をつけ、ラトビアの歌姫に贈られたものだったという。

●ああ、冬よ冬よ冬よ
 冷たい風は野原の草を凍てつかす。短い夏が過ぎ、黄金の秋も足早に終わって長い冬がくる。マロース(厳寒)には零下30.Cにも40.Cにもなる冬、言葉も交わす人もいない、心まで凍えるような冬、と歌う。スヴェシニコフ指揮、アカデミーロシア合唱団のレパートリー曲で、白樺では初演。

●街角に吹雪が吹き荒れて
 強い風とともに街角を吹き抜けやってくる、そしてすぐに遠ざかっていく、そんな吹雪の惰景を美しい娘にたとえて歌っている。美しい娘の黒い瞳に魅せられた青年の恋を熱唱する街歌。ロシア人の愛唱歌の一つで、作曲のワルラーモフは「赤いサラファン」の作曲者として有名。

●冬の道
 ロシアの詩聖プーシキンの詩にシェバーリンが作曲したもの。霧の切れ間に月の光が差しこみ、田舎道の雪を照らしている。そんな冬のさびしい道を、トロイカが走っていく。灯もなく、黒い百姓家もない、ただ縞ぬりの道標が続くだけの道。

●海
 1941年9月、ドイツ軍はレニングラードを完全包囲して封鎖し、兵糧攻めが開始された。11月下旬、ラドガ湖が凍ると、トラックで穀物が輸送され、このダローガ・ジーズニ(いのちの道)を伝って55万4000人が脱出した。1944年1月までレニングラードは封鎖に耐えつづけたのである。作曲のドナエフスキーは当時レニングラードで指揮者として活躍し、音楽活動を通して戦いに参加。この曲も独ソ戦の最中、1942年に作曲された。

《第3部》 バラライカとともに

●バラの乙女たちの踊り
 アラム・ハチャトリアン(ユ904〜1978)作曲による、バレエ組曲「ガイーヌ」の中の1曲で、1942年、レニングラードで初演された。4分の4拍子の明るい舞曲で、アルメニア地方の乙女たちの陽気な踊りが表現されている。「ガイーヌ」の第一」組曲は8曲から成っており、この「バラの乙女達の踊り」は3曲目、1曲目にはよく知られている「剣の舞」が入っている。

●想い出しておくれ
 古いロシア民謡の旋律をモチーフにして、東京バラライカ・アンサンブル創立15周年のために作曲された。「思い出しておくれ」「楡の木から樫の木に」「ウチョース」「おお、楽しき夕べよ」の四曲が織り込まれており、混迷するロシアに向けて、どうかあの古きよきロシアを思い出してください、という日本人のメッセージがこめられている。

●トロイカ
 かつてロシアでは、郵便物も様々な交易品も、夏は馬車で、冬はトロイカで運ばれた。その御者は農奴で、貧しい生活を強いられた。このため、数多くある御者の歌はみな哀愁感にあふれている。この歌も領主に恋人を横取りされ、身分の違いで取りかえすこともできない御者の歌。バリトン歌手スコブッォフの歌から採譜した。

●ロシア民謡メドレー
 なじみの深い曲ばかりを集めたメドレー演奏。ブランテル作曲の「カチューシャ」をはじめ、ロシア民謡の「黒い瞳の」、「ともしび」、「行商人」、「コサックの子守歌」、「一週間」の6曲。

●ロシア私の故郷
 ロシア人の故郷に寄せる想いは特別のものがあり、故郷を離れては生きていけないとまでいわれている。この歌は、そうしたロシア人の心情を余すことなく伝えた名曲。4分の3抽子の流れるような旋律が次第に高まって、激しい気持ちの高揚をみごとに表現している。作曲家のムラジェリはグルジア人であるが、モスクワを主な活動の舞台としていた。「ブッヘンワルドの警鐘」など平和への祈りをこめた曲で知られる。