合唱団白樺 第39回定期演奏会
オープニング 白樺-古いロシアのワルツ  ドレイズィン(1878〜1932)作曲

第1部 ロシア・ソビエト合唱曲の系譜[

●月の小径
ラトビアの作曲家、メルンガイリス(1874−1954)はドイツのドレスデン高等昔学院に学んだのち、レニングラード高等音楽院でリムスキー=コルサコフに師事しました。この曲にロシア的情緒はみられず、ラトビア語の幻想的な詩に、緊張感のつよい構成的な作曲がされています。ラトビアはリトワニアとともにバルト語族といわれ、ドイヅ、ポーランド、スウエーデンに征服されたのちロシア帝国領となりましたが、1991年の独立後はドイヅヘの共感が強いようです。

●森
素手のまま敵にたちむかい、勝利をおさめた伝説のホヴァ王子を森にたとえ、嵐をはねかえす森の力を歌いあげた曲です。ロシア人は森の民であり、森より野原を愛するものの、森には強い共感を寄せています。森が民衆に、嵐がツァーリにたとえられているのです。作曲者レチクーノフ(1870−1921)は革命のとき47歳ですから、この曲も革命以前に、革命の成功を祈って書かれたものではないかと思われます。プーシキンにも詩「ボヴァ」があり、森の詩はプーシキンに捧げられたものです。

●ピーテル街道
モスクワからサンクトペテノレブルクヘいくピーテル街道は、ピョートル大帝が開いた道です。といってもこの曲は兵士のざれ歌で、嫁をとることになって意気揚々と酒場の女に別れをつげにゆく兵士と、いさ討よくあしらう女性のかけあいで物語がつづられます。この曲には多くのバージョンがあり、民謡として愛唱されてきた歴史を知ることができます。グリエール(1874〜1956)はウクライナ人ですが、タニェーエフ、アレンスキーの弟子、プロコフィエフ、ハチャトリアンの先生で、新生ソヴィエトの最初の音楽指導者です。

●アルメニア民謡小品集
コミタスは本名をC.ソゴモニアン(1869−1935)というアルメニアの作曲家です。7世紀のアルメニアの優れた賛美歌作曲家の名前にちなむ称号をコミタスといい、彼はエチミアジン宗教大学を卒業するにあたってこの称号を与えられました。アルメニアの国民楽派を開き、農民の歌をたくさん採譜し、編曲しました。「山にさすらう」は国境警備兵の恋人を探してさまよい歩くという歌。「畑のしごと」は、酒も飲めないつらい百姓の暮らしをユーモラスに歌った歌。「鍵がなる」は、アルメニア版言葉あそび歌で、意味がなくても音の似た言葉がつながっています。「明るい夜」は浮気をなじっているのですが、なんとも明るく美しい歌。アルメニアの昔階は、和声短音階に似ていますが、山地の風土のせいか伸びやかで、日本の音階とは異質な響きを持っています。

●晩祷
ラフマニノフ(1873〜1943)はピアノの協奏曲の作曲者として有名ですが、ロシア正教会の聖歌も作曲していました。「晩祷」は1914年頃に作曲され、その後ラフマニノフが亡命したため長い間埋もれていましたが、1973年に生誕100年を記念してソヴィエト国立アカデミー・ロシア合唱団のレコードが発売されると、世界的に絶賛をあびました。高い精神性と音楽性に富んだ晩祷は、ロシア正教最後の名聖歌となりました。全部で15曲ありますが、今回はそのうち3曲を選んで歌います。1番、6番はラフマニノフによる近代的和声の曲、2番はギリシャ正敦の有旋律をとった伝統聖歌です。また、生神童貞女とは、神の母マリアに捧げられた称号です。

<第2部>ロシアの歌 ウクライナの歌

ロシアの短い夏に、モスクワの郊外で、どこかの川岸で、若者たちの清新な恋がくりびろげられます。遠い故郷を思って、遠い人を想って、大人の恋もあります。そして、素朴な農村には長い冬をつむぐ家族への愛がひっそりと息づいています。自然のなかの暮らしと、愛のかたちを味わってください。ロシアとウクライナはそれぞれ独立国となりましたが、国境を越えて、また民族の違いを越えて、人々の心に灯をかかげつづける歌を、私たちは歌いついでいきたいと思っています。

●モスクワ郊外のタペ
庭には木々のざわめきもなく、夕闇があたりをつつむ。小川の流れも爵かに、月の光をうけて銀色に光る。藷かなこのタベに歌声がかすかに聞こえる。恋人たちの語らいは東の空が自むまで統く。短いモスクワ郊外の夏を惜しむかのように、この夏の思いでを忘れまい。4分の2拍子の流れるようなさわやかな旋律はモスクワ放送のコールサインとして有名です。作曲者のソロヴィヨフ=セドイは叙情性の高い歌曲や映画音楽を数多く作曲しています。

●ウクライナ民謡